バランスをとる。


だれがなんと言おうと、自分が感じる現実から逃げない。

 

何年も前から、物質世界は終わり、精神の世界がくると言われています。

 

マヤ暦が終わった2012年から始まり、分岐点は2015年。2016年から本格的に移行していくと、宇宙と繋がっている人たちは言います。

 

私は何の意味かマヤ暦の「時間をはずした日」とされる7月25日突然断食をしたくなり、準備もしないまま絶食し頭痛に悩まされる誕生日を2回過ごしました。

 

2014年、2015年あたりからテレビも觀なくなり、情報はネットと口コミだけになりました。仕事が忙しかったり転職したりやたら落ち付かず、何も考えずにいました。

 

2016年。ここから私のアセンションとの本格的な関わりというべきことが進み始めます。突然アデプト、と言う言葉がいろんな方面から入り始めます。

10月に仕事中心でジタバタとするのをやめ、生活を優先することを選択。

 

11月、とあるきっかけで知り合った方が偶然ガイドヒーラーで、すぐにDNAアクティベーションを受けることになりました。

 

DNAアクティベーションとは?

宇宙や神々たちのエネルギーの存在を顕すのに、光、と言う言葉を使っています。クリスタルのワンドを使いその光によってDNAを活性化させ、本来人間が持っているパワーや能力を最大限に引き出せるようにする施術。

 

友人はこの儀式を受けたあと、急に仕事が回りだしたと実感したそうです。

(ずっと努力をしていた方なので、時期が来ただけなのかも?)

 

この話が私がこの施術?を受けることに興味をもったきっかけでした。

 

受けてみると少し気功を受けたときに近い感覚で、重たかった背中がふっと軽くなりました。

 

私はもともと自分軸で生きているのですが、「やりたくないこと」「やりたいこと」がより明確に整理され迷いが無くなったような。

 

少しチャンネルが切り替わったような感じ。

 

ふわふわとした感想ですね。

 

普通の整体やマッサージよりは何故か満足感がありました。体には一切触れられていないのに。

 

ちなみに同日、はじめてチャネリングなるものを体験し、サイキックだと言われてワクワクしました(*´ω`*)

 

その後気になって気になって、悩みに悩んだ挙げ句、翌月にはアデプトプログラムを受講。いろいろあって、レインドロップという施術も受けました。ここに詳しくかかれていたのでリンクのみ。

 

アデプトプログラムとは?

自分とは人生とは何か、何のために生きるのか。この命題に取り組みます。ライトワーカー(光のために奉仕をする人々)として活動するための入門編。MMSの学びの基本となる2日間のプログラム。「エゴの排除」をテーマに、 自分自身を知り、スピリチュアルな成長を遂げるための 基礎的な授業を行います。(MMSWebより引用)

 

これは何か施術のようなものではなく、教科書を使った授業のような感じです。私も、ああなんだ、宗教っぽいなー。価値あるのかなと半信半疑で1日目を受講しました。

 

そしてその夜。

 

深夜3時。時間を確認したので憶えています。

なんだかよく眠れずうつらうつらとしている時間に、突然眉間あたりにオーロラのような光の玉が出現。目を開けるとみえなくなりますが、暗闇で目を閉じるとはっきりと見える。色は赤みがかった紺色っぽい色が主流。にじみながら光を変化させています。

 

なんじゃこりゃーと思っていると、突然「癒しの手」を与えられました。

 

手が急にぽっと暖かくなり、いやしのて、という言葉が頭に浮かぶのです。

 

初のオカルト体験!

well,well,wellってやつですね。映画でよく聴くセリフ。

 

その時あまりにも背中が凝っていたので、あたたまったその手を当てて「結び目をほどいて」と願いました。どうして結び目だったのか。どうして解くのか。いまでもわかりません。

 

なんだか気になって枕元にあったスマホで調べたら、あったんです。それが。

 

「もつれた結び目を解く聖母マリアMary _undoer_of_Knots 」

結び目を解くマリアはマリア信仰およびそれを表現したバロック絵画である。1700年頃に描かれたヨアン・ゲオルグ・メルチオ・シュミトナーの絵はドイツのババリア地方アウグスブルグのペルラハ聖ペトロ巡礼教会(ペルラハ教会)にある。博士論文を書くためにドイツに来ていたイエズス会士ペルグリオ神父(後の教皇フランシスコ)はこの絵を見て、この信仰をラテン・アメリカへ導入した。(ウィキペディアより引用)

 

なんじゃこりゃー!楽しすぎる!!!

 

そんなことを思いながらいつの間にか眠りに付きました。

 

2日間のプログラムだったので、次の日もあったのですが、上記のことがあったにもかかわらず、まだまだ懐疑的な気持ちで受講を続け、修了しました。

 

教えてくださったガイドの方も、私の頑なな状態にたいそうお疲れになったかと思います。申し訳なかった。

 

でもあまりにも宗教的な印象が強かったのです。

 

 

その後の日常は変わらず、ただただ生きるための仕事をし、おいしいものを作って食べ、見たい映画を見て過ごしていたので、大きく変わった部分はありません。

 

あの時見えた光は「丹光」というのだそうです。

第3の目が活性化すると見える光。第六感などサイキック能力に関わりのあるチャクラとか。

 

その後暫くは目を瞑り、立体視をするような感覚で研ぎ澄ますと光の玉が見えていましたが、今現在は見えません。残念。

 

 

今私の感覚でとらえている世界は恐らくみなさんと同じ現実の世界です。

働いてお金をいただき、必要なものを買い、税金を払い。

 

例え不思議な体験をしてもそれは変わりません。

 

そしてそうありたくもあるのです。

 

私は現実と、スピリチュアルもバランスを取って生きていきたいのです。

 

 

ただ少し、起こるいろんなことに意味があるのだなあと強く感じるようになりました。

 

それはこの儀式のせいか自分が考えてきたことの延長なのか、私にもわかりません。

 

そしてまだまだ小さな小さなことですが、確実に何かを引き寄せている体感があります。

 

 

その話はまたいつか。

※この投稿はアメブロからの転載です。